最近、幼い子供が無残にも殺される事件が報道されており、
子供を持つ身としては、とても恐ろしいし、その親御さんの気持ちを思うと、
やるせない気分になる。

ただ、猟奇的な殺人事件などは過去にくらべ大幅に件数は減少しており、
連日のマスコミ報道から、凶悪事件が増えた印象を持つ方も多いかもしれないが、
実態はそうではない。

<殺人事件の推移>

数的な検証は、いつの時代でも必要だ。
特に最近は、マスコミの印象操作が多いので、注意が必要です。


ふと思ったが、「殺人はなぜいけないのか」と言うのは、どこかで誰かに教わるのだろうか?
義務教育からの教育課程を思い返してみても、私はそれを教えられた記憶がない。
最近の凶悪犯も、教えられてないに違いない。 

そこで、もし子供に訊ねられたら、何と答えるべきか考えてみた。

・それを許すと安易に殺人が横行し、社会&経済活動が営めない世の中になるから。
・その人の可能性を消すから。
・悲しむ人がいるから。

考えてみたところ、上記3点の理由から殺人はいけないだと個人的には思う。
ここで、「個人的」と敢えて書くのは、本当の意味でそういった指針が文書化されてないのを知っているからである。
では、ひとつひとつ見ていきたい。

まず1点目は、社会活動への弊害としての観点が考えられる。
気に食わなければ殺すという事を繰り返していると、物事が前に進まなくなり、その社会は非生産的となる。
意見をぶつけると殺されるというのでは、普通に考え創意工夫も生まれにくい。
多分、殺人を認めない国と比べると、経済および文化の観点では、著しく生産性は低くなり、
国際競争力は弱まるであろう。
というか、他の国の人も、そんな国の人間が相手では、恐ろしくてビジネス(商談)のテーブルに付けないだろう。

そして2点目は、可能性の問題。
Aさん20歳を殺してしまった場合、Aさん20歳が寿命の80歳までに活動する事で成し遂げる対価の可能性を、
この世の中から消失させることになる。
それは純粋に損失であり、家族・個人・チームとしての生産性を大きく減少させることとなる。
そして一番は、それがもう戻ってこない事であろう。死んでしまったら二度と生き返らない。 

最後に3点目は、感情的な部分で、その人を失う事で悲しむ人がいるからであろう。
残された家族がネガティブになり、想定された文化的・経済的活動が閉ざされる事もあるだろうし、
悲しみが、恨みに変わり半永久的な報復合戦となっては、これまた非生産的である。
(この状態はイスラムの一部を連想させる)

こんなところだろうか。

最近思うのは、こういった理由から、人を殺してはいけませんと、
しっかりと子供に教える必要があろうという事だ。
論理に基づいた理由・根拠を教えないと、いつか、倫理を外れたおおごとをやらかす可能性がある。
子供は意外とするどい。大人が説明できない常識を曖昧にして押しつけていると、
理解できてないままに、曲解をしてしまうかもしれない。

こういった事に真摯に取り組もうと思った。
夏後半なのであった。


※ちなみに以下のリンクの本は読んでません(笑